茶器


   一

「茶」を好む人は多く、又「茶」を研める人も多い。併し茶器への見方は依

然として鈍い。どうして見る眼が今日のように衰えて了ったのであろうか。

凡てと云ってよいほど、知る人は見る人ではない。ひどく片手落ちな感を受

ける。知る力があったとて、見る力が伴わずば、知り得たと云えようか。知

る前に見ずば、知ったとて何が見えよう。文献の考証や、解釈の整理は、い

くらあってもよいが、肝腎の一物を欠くと、凡てを失うにも等しい。その一

物は知では掴めぬ。如何ほど茶事に巧者であろうとも、只それだけでは美し
            チ     ケン
さに迫ることが出来ぬ。「知」からは「見」は生まれて来ない。見あっての

知である。

 このことは信の場合でも同じである。知って後信ぜんとする者、知らば信

じ得るとする者、凡て信からは見離されるであろう。この秘義が「茶」の学

に於いて、「茶」の嗜みに於いて、忘れられているのは不思議である。先ず

見ねばならぬ。見とどけねばならぬ。これのみが知を深くする。


   二

 過日一学者の茶器に関する書物を読み、うたたその感を深くした。その学

識には教わる所がある。だが困ることには、ごくつまらぬ茶器に関しても、

私は丹念な叙述を読まねばならぬ。それは全く物憂げな贈物である。著者は

何を見ているのであろうか、又何を見ようとするのであろうか。良し悪しの

取捨に対して、知はいつも力が弱い。

 新しい文献でも捕らえると、急に著者の筆は躍る。だが、なぜそれをそう

まで力と頼むのであろうか。文献は間接である。どうして自身で直接に物そ

のものを見とどけないのであろうか。その方がずっと確信を呼ぶ。文献は附

けたりでよい。その方が知識に権威を誘う。

 掲げる挿絵は何もかも懺悔して了う。ここでは見る力の量を隠匿すること

が出来ない。本文に千万言を重ねても、挿絵に眼が冴えていずば、閑文字に

終わる。そういう本がどうしてこの世にいたく多いのであろうか。私は全く

倦怠を感じる。真に捕らえたい一物は、遂に姿を見せない。何処に在るので

あろうか。著者は何事をもそれには答えていない。答えられないのである。

見とどけていない証拠である。


   三

 先日私は一友人から仁清と乾山との展観に招きをうけた。その友人は誠実

な学者である。私は行って見たくもあった。併しそれは仁清や乾山の素晴ら

しさを見たいためではなかった。そんなものは始めからないと私の眼には映

る。だからこれ等の有名なものが、どれだけ不満足なものであるかを、もう

一度見たいためであった。併しこういう二義的な目的は、私の病後の足を渋

らせた。私は外出を見合わせて了った。なぜ茶界は、まだそんな作品に低徊

しなけらばならないのであろうか。

 私は招待の礼状にこう書いた、「不日、民芸館で茶器ならざる茶器、有名

ならざる名器の会を開きたい」と。こうでもせずば因襲を破ることは出来な

い。私は決して傲慢なものでもなく、又独断を振り翳しているのでもない。

あの見事な「井戸」茶器や「肩衝」の茶入は、嘗ては皆茶器ならざる器物で

あった。決して茶器などに作られたものではなかった。その有名ならざるも

のを名器に仕立てたのが、初期の茶人達である。吾々もなぜ同じような溌刺

とした創作をしないのであろうか。この力があったら仁清などの名に躓く筈

はないのである。かくてもっと素晴らしい器物を、匿れた所から引き出して

来るに違いない。


   四

 茶人達も学者達も、なぜもっと眼を活々と働かせないのであろうか。なぜ

進んで「見る作家」にならないのであろうか。余りにも因襲に縛られて、あ

がきがとれないのである。最も囚われているものに銘がある。今は銘に「茶」

があると思われるほど、無上の信頼をこれに懸ける。だがこの銘こそはどん

なに彼等の目を暗くしていることか。不思議にも彼等は銘を見て物を見ない。

少なくとも銘で物を見る。銘が無いと物が見えない。ここまで病いが喰い入っ

ているのである。物を見届ける力があるなら、銘の有無などどうでもよくは

ないか。見るのに銘などなくとも一向に差支えはない。銘はむしろ色眼鏡を

与える。銘で物を見る人が、見誤るのはそのためだと思われる。なぜ素裸で

空手で、物に触れ物に入って行かないのであろうか。初期の茶人達はそうし

たではないか。嘗て彼等は銘で物を見たであろうか。大名物のどこに銘があっ

たであろうか。

 盤珪禅師は徳川時代にいた又とない禅僧であった。只「不生」の一語を以

て万機に接し経典祖録を借りず、又公案の提撕にも便らなかった。時に僧あっ

て、このことを師に詰った。圜悟大慧などの禅者は、後学のために、話頭を

掲げられたが、何故師はその手段を用いられないのであるかと。師の答えは

こうであった。「圜悟大慧より巳前の宗師も、話頭を提撕せられたか」と。

今は銘以前の「茶」の説法がどうあっても必要だと思われる。


   五

 或る茶器の本はこう主張する。高麗の「井戸」から大和の「黒茶碗」に進

んで、茶器は一飛躍を遂げたのであると。茶碗の極致を「黒楽」に見出そう

とするのである。前者は無銘の器物、後者は在銘の茶器、自然に生まれるも

のから、心して作るものへの進歩、無意識より意識への推移、外来のものよ

り和ものへの高揚。ここに歴史の経過を見て、「黒楽」の当然なる価値を認

定しようとするのである。一寸考えると、よく筋の通った説明である。だが、

著者は物で歴史を語っているのであろうか。眼で歴史を見ているのであろう

か。そうは思われぬ。只知識で歴史を辻褄の合うように整頓させたというに

過ぎない。実に茶碗の堕落はその「楽」に兆しているのである。眼はそう見

ないわけにゆかぬ。

 茶人達は完全なるものを否定した奥に美を見た。それ故未完成なものの自

由を讃えた。疑いもなく初期の茶人達の創見である。だがこれを教わると、

後代の茶人達は不完全が美の条件であると考えるに至った。そうして、意識

して不完全なるものを作った。誰にも分かる心理的経過である。抹茶碗は手

造りが好まれ、形を態と曲げて、いびつに作り、窪みや疵をまでこれに加え

る。これでいよいよ風雅が保証されると考えるに至った。「楽」はこの解釈

のまがいもない現れであった。誠に茶器三百年の鑑賞はこの中に始終した。

光悦と雖もこの輪郭の外に出ることはなかった。

 だが意識に止まるものが、無上な美に触れ得るであろうか。もう千年も前

に禅僧達はこの問題を説き終わったではないか。「謹んで造作すること勿れ」

と臨済は云う。「造作」の「楽」にどんな深い美があり得るであろうか。見

れば見厭きて了う。そのいびつは、騒々しい限りである。どこに静寂があろ

うか、渋さがあろうか。ある茶人が嘗てこう云った。「茶碗は高麗」と。茶

碗は朝鮮ものに限るとの意味なのである。私はこの鑑賞家の眼の正しさを疑

うことが出来ない。抹茶碗は和ものの黒茶碗から乱れ始めたのである。在銘

のもので無銘のものに勝ち得たものは未だにない。「井戸」は依然として茶

碗の王者である。「井戸」も褒め、「楽」も褒めるというが如きは、「井戸」

も見えず、「楽」も見えない証拠である。


   六

 だが、なぜ「井戸」は本ものなのであろうか。それは正系の焼物だからと

答えてよい。それ故茶碗としても正統なものたり得たのである。黒茶碗の如

きは傍系のものに過ぎぬ。強いて異を求めた品物に過ぎぬ。畢竟一種の遊び

を出たことがない。「井戸」は趣味で生まれたものとは違う。生粋の用器で

ある。このけぢめを茶人達はどうして忘れるのであろうか。

 ここで正系とは何を指しているのか。詮ずるに尋常なものという意味であ

る。或は素直な当り前なものという心である。無事なものと言い直す方が更

に適切かも知れぬ。一寸考えると、そんな平凡な性質が何になるのだと問い

返されるかも知れぬ。だが実は正常だという境地より、もっと高いものがあ

り得ようか。禅僧は絶えず「平常心」の深さを説いた。誠にここが教えの尽

きる所である。「井戸」の美は尋常の美である。無事の美である。超ゆべか

らざる美をそれが有つのはここに理由が宿る。造作された「楽」は異数を求

め非凡を追う。そんな茶器で茶が飲めるであろうか。それをしも悦んで用い

た後世の茶人達は、「茶」を救い難いものに沈めた。「井戸」の良さは平易

な飯茶碗であったという資格による。この資格の前に「楽」は恥ぢないであ

ろうか。「楽」を悦ぶ間、「茶禅一味」などとは義理にも云えぬ。造作され

た異数の「楽」より禅意に遠いものはないからである。一喝又一棒を加えら

れたとて、答えの持ち合わせはない筈である。「楽」の弱みは正系の焼物で

ないということに帰する。無事の美を離れて何の茶器があろうか。利休から、

「茶」は一途に下降し始めた。遠州の如き、犯した過ちは些少ではない。こ

の間、どんな在銘の茶器が、「井戸」の美を超え得たであろうか。


   七

 だが、ゆめゆめ品物が周囲になかったわけではない。見てやる人が出なかっ

たからによる。正系の焼物は左右に山ほどもあるのである。只その中から名

器を引きぬく自由さを有った人がいなかったというに過ぎない。自己の銘を

棄てて、他力に任せた品物こそは、吾々の眼を忙しくさせる。若しも眼力の

人が出るなら、「井戸」と並び得るものを引き出すのに、そんなに困難を覚

えないであろう。実は多過ぎるほどのものが、その眼に廻り会いたいと待っ

ているのである。

 飯碗、汁碗、茶呑碗、蕎麦掻碗、うどん鉢、そんなものをゆめおろそかに

扱ってはならない。糊壷、薬味入、名もない安ものだからとて見過ごしては

いけない。塩壷、種壷、砂糖壷、荒々しいものだとてさげすんではならない。

茶碗、茶入、水差などの未来の名器が、どこかに匿れているからである。無

銘な用器の領域こそは、茶器の宝庫である。そこにこそ大きな期待を掛けて

よい。初期の茶人達は自由にも無名なものから名器を拾い上げたではないか。

無遠慮にも茶器ならざるものを茶器に仕立てたではないか。このことは何を

私達に示唆してくれるのか。名もない当り前な雑器であってこそ、名器にな

り得る望みが多分にあるのだということを。そうしてそれを見届ける人は、

まがいもない創作家である。茶人とは本来かかる作家をこそ云うのではない

であろうか。


   八

 茶器の堕落は銘が現れると共に始まったのである。なぜこんなことが起こ

るのであろうか。畢竟、意識の道が如何に難行であるかを告げてくれる。多
       ゴウ
くの者は作為の業に斃れて了う。乏しい自力に立つが故に、終わりまで堪え

得る者が稀なのである。自己に立つ者はとかく自己に破れる。在銘の品にふ

りかかる運命は厳しいのである。小さな己れが救いを邪魔するのである。と

かく無銘の品に及び難いのは、実に在銘の品だというそのことにかかる。

 長次郎出でてこの方三百余年、幾多の名が「楽」の歴史に登りはするが、

不幸にして殆ど凡てが作為の道に破れた。よく造作を脱して無事の境地を示

し得た者がいない。顧みると在銘の歴史は罪の歴史であったことを被い匿す

ことが出来ぬ。

 だが人間はいつか意識にまつわるこの難行を乗り切らねばならぬ、意識に

住んで而も意識を超える道へと出ねばならぬ。若しこれに徹し得たら新しい

一道が開かれて来よう。在銘の品だとて、見事なものになれないわけがない。

「井戸」は他力に任せ切った仕事である。救いが誓われているのも当然であ

る。だが自力の一途を徹すれば、見性の禅域に達し得よう。誰かが出て自力

の道を、美の世界に於ても樹てねばならぬ。どうして不可能なことがあろう。


   九

 意識は先づ意識の罪を自覚するその意識でなければならない。この自覚は

作家を「楽」の境地に止まらしめない。彼の叡智はもっと聡明である。その

造作は一度造作を否定したものから始まる。かくて現れるものは只の造作で

はない。個人の茶器はここから始まらねばならぬ。

 道は難行である。自力を以て進まねばならないからである。併し至り尽く

せば無碍の別天地があろう。禅僧は身を以てこの秘義を示した。個性に立つ

凡ての作家は、美の国の禅僧である。道が険しいのは論を俟たない。併し幾

許かの人は必ずや乗り越えるであろう。この時自力と他力と二であるとも不

二であろう。道は異なっても一如の世界を示すであろう。茶器には「井戸」

ならざる「井戸」が現れねばならぬ。

 幸いなことに今日に及んで意識の道で起ち上がった者がある。慥かに茶器

の歴史に新しい一章を加え始めた。私は今、浜田庄司の作品を前に見て、こ

の悦びを語っているのである。それは「楽」への大きな抗議である。長い間

茶器が犯した誤謬への是正である。それは自力の道を通して、茶器を正系の

姿に高めようとする努力である。浜田は美しい幾多の作を既に見せた。茶器

として作られた真の茶器は、その歴史を浜田から始めたと云ってよい。幾多

の名工を人は歴史に讃えるが、吾々はそれ等の名に滞らずともよい。浜田の

作は既に一頭地を出したものである。私達は彼の作で始めて和ものの茶器を

躊躇わずに語ることが出来る。茶人達はまだ充分に彼の作を肯はない。歴史

家達はまだ明確に彼の位置を見定めない。余りにも在来の見方に囚われてい

るからである。そうして茶器を或る型にのみ縛っているからである。しかし

「茶」は進まねばならない。これに応じて茶器も亦進まねばならない。浜田

はそれに答えようとしているのである。そうして既に幾つかの答えを与えた

のである。一般からこのことが省みられるには、あと半世紀も待てばよいの

ではなかろうか。真理は明るみに出され、大方の人は素直に、その事実を受

け容れるであろう。望むらくは浜田に続いてこの新しい茶器の歴史を、更に

高め深める作家達が現れねばならぬ。茶器の歴史にとって、今は最も興味深

い時代の一つである。

 見る者と作る者と用いる者とが力を合わせて「茶」をその正しさに戻すな

らば、利休、遠州の時代より一段と輝かしい業績を示し得るであろう。私は

それを疑わぬ者の一人である。


                   (打ち込み人 K.TANT)

 【所載:『世界』 第4号 昭和21年】
 (出典:新装・柳宗悦選集 第6巻『茶と美』春秋社 初版1972年)

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